道元は学習理論の先駆者だった!
リュウです。
先日、レイドウレイキ卒業生で構成される「幸力の会」というグループのイベントに参加して、総持寺という寺で座禅をしてまいりました
。いや~寒かったこと寒かったこと。
で、座禅する前に、お坊さんのありがた~いお話を拝聴したわけですが。
良い言葉、教えてくださいました!
『仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり。by 道元禅師』
ほお~
、有名なお言葉だそうですが、矛盾に満ち満ちてます
。
「我思う、故に我あり(by デカルト)」 近代哲学の出発点です。
世の中の常識を全て疑って疑って、それでもなお残った概念。
それが「我が存在すること」なんですねぇ。
仏道を歩む者は、そこでこういう疑問が湧いてくるわけだ。
「我って何よ? Who am I ?」
その答えを探究することが即ち仏道だということでしょうか。
そして自己を知るためには、「自己を忘るるなり」。
これはまさしく人材開発論や組織学習論でいうところの「アンラーニングunlearning(学習棄却)」じゃないですか!
アンラーニングとは、いったん学習したことを意識的に忘れ、学び直すことです。なんで、そんな面倒くせーことをするかっていうと、固定観念を捨てるためなんですね。
世界が日々刻々と変化するなかで持続的に成長し続けていくためには、正しい行動を1回ラーニングして終わり!ではなくて。
その正しかった行動をいずれアンラーニングして、そして新たな正しい行動をラーニングして、そしていずれまたその正しい行動をアンラーニングして・・と、ラーニングとアンラーニングを行ったり来たりする必要があるんだぞ~、ということなんですね。
そう。自己を習う(learning)ことの出発点は、自己を忘るる(unlearning)ことですよ!道元さん、すごいよ!!!
・・・
僕はお坊さんの話を聞きながら、そんな風に感動してたわけですが、残念ながらその想いを誰かと共有できなかったので^^;、ここで叫んでみました
。
心理学の世界だと、人間のパーソナリティって、遺伝子的な要因と、環境的な要因とで形成されているわけです。で、環境的な要因で形成されるパーソナリティって、言い換えれば、「学習されたパーソナリティ」なわけですよ。この「学習されたパーソナリティ」をまずアンラーニングするところから始めないと、本当の自己なんてわかりっこないということになりますね。
人間って賢い生き物ですから、環境に適応しようと最適な行動を沢山学習するわけですね。そうして、パーソナリティというものが自己と環境の相互作用によって形作られていく。
でも、何を学習しているかわかったもんじゃないな、と思うこともあります。例えば、誰かがあなたを利用しようとして、その誰かにとって都合の良い考え方や行動を刷り込まれてしまうことがあります。
こういう「機械的に」学習されたパーソナリティが顕著に現われてくるようになるのが、ちょうど思春期くらいなんすよ。この頃くらいから、冷静な第3者から見ると「どこかうそくさい自己」がよく顔を出すようになる^^。これを人によっては「大人の仲間入りをしつつあるな」と、とらえるのかもしれないけどね。
「大人とはgrowing-upではなく、given-upだ」とは誰の言葉だったかな・・・。
これって自己を習うことを、given-upしてしまったとも解釈できますよね。そして環境に合わせて、「どこかうそくさい自己」ばかりで自分を塗り固めてしまったとしたら・・・?本当の自分は1mmたりともgrowing-upできない。
・・・
え?座禅はどうしたかって?
足がしびれました!!!(←それだけかよ)
ではまたね☆
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