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2009年6月

2009年6月26日 (金)

東国原知事が自民の総裁候補になる?

奇策だが、これからの行動如何では、自民党にとって起死回生の策になるだろう。

火中の栗を拾う意思を示した知事に感謝した方がいいと思うけどねぇ。私が自民党議員なら、東国原総裁を実現する会をつくるべく、早速奔走していたと思うが、大半が怒り心頭の声って感じだなぁ。

”野党”自民党の総裁として、これほど適任な人材は居ないと思うんだが、どうも永田町の論理というのがよくわからない。

特にわからないのは、小渕優子さんの自民党議員内人気の高さ。現在は選挙区に候補者1人だけ映っているポスターは貼れなくて、誰かと二人で映っているポスターを貼る必要があるわけだが、その誰かには通常、総裁・党首・代表といった党のトップが選ばれる。

ところが自民党の場合、麻生総裁の人気は少なく、立候補予定者293人中41人しか総裁とのツーショットを選択してないそうだ。で、2位が首相にふさわしい政治家ランキングで現在トップに立つ舛添大臣、3位が石原伸晃さん 4位が小渕優子大臣、5位以下はドングリ。

舛添大臣や石原さんを選ぶのはまぁ理解できる。2人とも知名度は抜群で、最近では首相にふさわしい政治家ランキングの上位常連だ。しかし小渕大臣はよくわからない。

彼女は首相の娘として、他の世襲議員とは一線を画したスーパー世襲議員であり、自民党の中では未来のお神輿候補として、当選当初から期待されているというのは知っている。だからこそ至上最年少大臣にも選ばれたわけだ。

しかし国民的人気があるのかというと、地元選挙区以外では特段人気があるわけでもなく、政治家としての実力を高く評価されているわけでも無い。それにも関わらず、「国民受けがいい」という印象を自民党内のかなりの数の議員さん達は思っているようだ。

この辺は、国民感覚とのズレ、なのかもしれない。小渕首相に世話になった議員やマスコミ、官僚などの政治関係者は数多いだろうから、娘さんを特別視する人も必然的に多いのだろう。それは我々の人間関係のなかでもよくある話なので、当然の反応ともいえる。

が、それは永田町の政治村の住人にだけ通じる話であって、村の外に居る大半の人達からしてみれば、当然理解不能だ。小渕優子さんのことは特にキライではないし、好感のもてる人のような気もするが、(近い)将来の総裁候補と期待してしまうような、実績なり片鱗なりはまだ見せておられないようにも思う。

要するに小渕優子さんというのは人気政治家ではなく、旧態依然とした派閥の超エリートみたいな存在だと思っている。人気の出るスター政治家タイプでは無い。

しかし、選挙という政治家にとってもっとも重要なイベントで2ショットポスターが多数貼りだされ、選挙応援にも多数声がかかっているとなると、これは「選挙の面倒をみてあげている」ということになる。そうすると、必然的に、マスコットキャラから、小さな派閥の親分クラスになる日もそう遠くないだろう。

私は下記の記事を今日読んで、どうやら、彼女自身、総理・総裁の座を強く意識しているのではないかと思ってしまった。

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<毎日新聞のオンラインの記事より>

小渕優子少子化担当相は26日の記者会見で、東国原英夫宮崎県知事が次期衆院選に出馬する条件に自民党総裁候補とすることを求めたことについて「総理・総裁を目指すということは本当に大変なことだし、命をかけてその役割を果たしていくことだ。あまり軽々しく口にできることではない」と不快感を示した。

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いずれせよ、野党に転落するであろう自民党は、なんとかして東国原知事を総裁に祭り上げる必要があると思うが、ただタイミングが少し速かった気もする。

絶対ありえないだろうが、与党でいるうちに東国原知事を総裁レースに出馬させてしまうと、当選するしないに関わらず、彼の人気は相当に傷ついてしまうだろう。特にまかり間違って当選してしまっては麻生氏のようにズダボロになりかねない。

自民党の立場でモノを考えると、野党に転落してから、「解党的出直しの象徴」として東国原知事をかつぐのが、タイミングとしてはベストだ。そのための下地づくりになるのならば、東国原知事と古賀委員長の総選挙出馬をめぐる一連のやりとりも、大きな意味合いを持つものになるだろう。

我ながら一体誰に向かって言っているのかよくわからないな(笑) いや単なる独り言か。

民主党の立場でモノを考えると、難しいのは政権を取ってからだ。週刊文春をぱらぱらめくると、民主党議員のスキャンダルがいろいろ書かれている。無論こんなものはデマも多いが、そろそろ検察だけでなく、マスメディアも、潜在的な与党である民主党に攻撃の矢を向けてくるはずだ。無論、政権を取ってからは、その矢がさらに加速的に増える。

しかも単独政権ではなく、国民新党という民族主義色の強い極右政党と、社民党という極左政党との連立政権だ。どちらも統制の比較的ゆるいミニ政党の気楽さで、かつての自由党=小沢党のように、外でも内でも好き勝手吠えるだろう。どうやって意見の調整をするのか、想像もつかない。

自民党が適切な手を打ってくれば、2年で政権を奪還されてしまうだろう。そしてその適切な手を、少なくとも古賀委員長は知っていると思う。もっとも知っている人が居るからといって、実行されるとは限らない。今のままでは自壊して、ちりぢりばらばらにになってしまうように見える。

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2009年6月22日 (月)

ジュブナイル小説

過日、『涼宮ハルヒの消失』という高校生が主人公のSF小説を読んだが、これは「ジュブナイル小説」という10代を対象にした小説のジャンルに含まれてる作品だろう。

自分自身10代の頃は、この手の小説を大量に読んでいたが、当時流行っていた作品とは、随分と作風というか趣きが異なるものだった。

私が中学・高校生の頃というと、もう20年ほど前になるが、当時は眉村卓さんが中学生を主人公にしたSF物のジュブナイル小説を沢山書いており、僕も愛読していた。

『なぞの転校生』『ねらわれた学園』『時空の旅人』のように角川が映画化した作品は特に有名であろう。筒井康隆さんの『時をかける少女』も大変有名で勿論読みはしたが、僕は眉村さんの硬質な文体や作風の方が好みだった。

眉村さんが描く男子中学生は、「まちたまえ、君!」みたいなセリフを普通に言ってしまう、まるで詰襟の学生服の一番上のボタンまできっちりしめているようなお硬くてしっかり者の少年たちだ。

じゃ女子中学生はどうだったかというと、こちらも男の名前を呼び捨てにしないお転婆なタイプや、しっかり者の良妻賢母タイプなど、現代日本では絶滅してしまった女子が出てくる。

1960年代~70年代に書かれた作品なので、現代と言葉づかいや立ち居振る舞いが異なるのは、当たり前といえば当たり前なのだが、それにしても隔世の感がある。

眉村さんの描く少年少女は、まるで武家の男子女子のような品があった。背骨がしっかりしていて、将来社会を背負って立つ大人になるだろうな、と思わせるような責任感と社会背のある子達だった。

それにひきかえ『涼宮ハルヒの消失』で出てくる少年少女は、良くも悪くも自我が強い。武家の人間のような全体のために滅私奉公するようなタイプでは全くなく、本当に個性の時代になったんだな、と感じるものがあった。

それでも面白いもので共通性もある。これはひょっとすると、時代をつらむく日本人性といってもよいのかもしれないが、なんだかんだで共同体を支えるという価値観を持っているのだ。異なるのは、共同体の範囲だろう。

眉村さんの少年少女は、自分達のごく身の回りで事件が起こっているにも関わらず、どこか社会全体に目がいっている。学園を支えるというレベルではなく、もっと広く大きい何かを見据えていて、目に見えない重い何かを背負っているようなところがあった。

対して、涼宮~に出てくる少年少女は、SOS団という主役5人で形成しているサークルが、支えるべき共同体になっている。この共同体も各人の密接性が高く、みな重い何かを背負わされている。さらにこの5人のうちの3人は所属組織なるものがあり、その組織からも重い何かを背負わされているから大変だが、その何かは、いずれも各人の日常の目前にしっかりと存在している。

眉村さんの少年少女も、涼宮~に出てくる少年少女も、共同体の鎖にしばられている点では共通しているが、眉村さんの少年少女は、見知らぬ多くの誰かと信じ支えている共同体であるのに対し、涼宮~に出てくる少年少女は、勝手知ったる仲間内だけで信じ支えている共同体だ。

こうして比較してみると、現代は、人間不信の時代といえるのかもしれないし、絆を再構築しているという考えもあるのかもしれない。再構築とはつまり一旦全てを叩き壊して、そしてまた一から紡ぎ合わせていっている、そんなイメージだ。

いずれにせよ、眉村さんの少年少女が背負っていた何か、縛られていた鎖は、もはや現代には存在しない。驚くべき数の人達が、自由になっているともいえるし、不信感を生じさせて孤独になっているともいえる。

だから手近な誰かとくっつきたいという気持ちが、ある種の「強迫観念」を伴って迫ってくるのもよくわかる。涼宮~に出てくる少年少女が結成するSOS団のモチベーションの根っこには、そうした人間不信からくる「不安」と、その不安を打ち消して信じたいという「強迫観念」があるように感じられた。

一緒に背負っていた荷物や、一緒に縛られていた鎖は、信じ合える「絆」にもなる。しかしその「絆」は偽りのものだと感じたならば、人間不信にもなってもおかしくはない。現代の日本社会では、いつ頃からか、社会を結ぶ「絆」が偽りのものになってしまったのかもしれない。

しかし、人間不信にとらわれてばかりでは人生損をする。自分自身の身を滅ぼすだけだ。むしろこれは大いなるチャンスだととらえたい。

それはあたかも、強制労働に従事していた捕虜が、鎖から解き放たれるようなものだ。

『涼宮ハルヒの消失』のなかで、作者が最後の方で読者に問いかけをしていた。

ゆがんだ日常とは無縁の淡々とした物語(ようは我々が普通に認識している日常世界)と、SF小説らしく宇宙人や未来人が出てきて、荒唐無稽なことが起こる作品世界の物語と、キミならどちらを選ぶ?という問いだ。

主人公の立場ならば、勿論荒唐無稽なことが起こる作品世界の物語だ。しかしもし自分の身に置き換えるならば、ゆがんだ日常とは無縁の物語を選んだと思う。

理由は、そっちの方が、自由と感じるからかな。作品世界は、僕からみるとかなり窮屈な縛りがあって、まるで陰湿な軍隊や学校の教室のような「重さ」や「縛り」をどこか感じるところがあって、現実にSOS団に放り込まれたら、1秒で逃げ出すと思う。

それに日常世界は、自分から色々仕掛けられるけど、作品世界は、勝手に荒唐無稽なことが起きるから、どうしても受動的になってしまうなぁとも思う。振り回されっぱなしというのが、性格的に癪にさわるというかね^^

眉村さんの少年少女達なら、あの問いにどう答えるかな・・・? うん 僕と同じ選択肢を選ぶだろうな。彼らはいつもSFの世界から、平凡な日常に最後は戻ってきた。ただまぁ理由は僕とは多分違うと思うけど。

彼ら・彼女らは、愛する誰かと共に過ごすよりも、唇をかみしめ、絶叫しながらも、最後は社会的な責任を背負う者としての行動をとる、もしくはとらざるをえなくなるような人達だったけど、僕は常に、窮屈じゃない方、縛りの少ない方、自分が動きやすい方を選ぶからなぁ。

そんなやせ我慢する彼ら・彼女らだからこそ、ノブレス・オーブリージュの精神の持ち主のような品が生まれるわけで、僕にとっては今でも愛すべき存在だけれども、現代では「お話の世界ですら」絶滅してしまっているのが残念だな(苦笑)

蛇足だけれども、最近はヒーロー=女の子の時代なのかね? 男の子はなんかヒーローのバックアッパーというか、精神的なケアをするのが役目みたいな。

まぁ男がヒーローでも女がヒーローでもどっちでもいいんだけど、涼宮~は、長門さんていう文化系女子がスーパーヒーローで、主人公の男の子はヒロインのごとく、ピンチの時はいつもヒーローが助けてもらってる。それだけではなくこの主人公は、戦いに傷つき、不器用な立ち居振る舞いをするヒーローを、陰になり日向になり支えたり気遣ったり、精神的には保護者のようだ。

読者層は主にインドア派の若い男性だろう。強い女を優しく包み込みように掌の上で転がすのが、男の役割・・・なんて若者達が増えているのかねぇ?草食系男子ってやつ?

スピリチュアルの世界では、よくアクエリアス=女性性の時代とか言っているが、となると・・・あれ、なんだ、また男の時代になっちまうのかねぇ?どっちかというと、現代の気力ある女性は、男性性=うお座の時代の価値観に移行していっているよね。

俺様系の猪突猛進型の女の人が多いもんな。第一声から「あなたバカですね」とか平気で言ってくるもんな(笑) 15分後には、自分の方がバカだということに気づいてくれるわけだが、これって、おっさんの反応パターンやん。

おっさんと違うところは、おっさんは15分後に自分の方がバカだと気づいた時点で謝ってくるが、女の人は絶対に謝らない(苦笑) その代わりに、仕事(=金)をくれる。 無論、謝られるより、仕事(=金)をくれる方がありがたい(笑) 

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2009年6月15日 (月)

もうすぐ都議会議員選挙だが

自民党が惨敗したら、麻生総理は総選挙を戦わずして、自民党総裁から引きずり降ろされることになるんだろうな。

結局自分で勝負する度胸も策略も無い人だったか。こんなに政局弱くて、よく総理になれたもんだが、それだけ自民党が劣化しているんだろうな。

自民党の総裁選挙といえば、血で血を洗うようなもんだったそうだが、安倍→福田→麻生と、最近の3代はワンサイドゲームだもんな。しかも皆、平凡な世襲議員ではなく、生まれながらにして特別な存在とでもいえるような、華麗なる閨閥の持ち主だ。

閨閥というのは古めかしい言葉だが、政略結婚を通じて、政財官界の有力者や、場合によっては皇室にまではりめぐらせた、強力な血縁ネットワークを指す。小泉元首相あたりは世襲議員だが、閨閥の持ち主というほどでは無い。

あれ、そういえば、次の衆議院選挙後に間違いなく総理になるであろう鳩山由紀夫民主党代表や、最近目立っている弟の鳩山邦夫前総務相も、立派な閨閥の持ち主だ。鳩山兄弟は、政界のなかでは飛び抜けて金持ちでも有名だっけ。

・・・

スーパーセレブ続きじゃないか。スーパーセレブだからダメというのは偏見だろうが、麻生の次が鳩山(兄)とくると、4代連続のスーパーセレブ総理だ。

さすがにこれは何かがおかしいのではないだろうか・・・?

そういえば鳩山由紀夫代表は、瞑想したりマントラ唱えたり霊能者に相談したり、かなりスピリチュアル好きらしいねぇ。奥さんが大層な精神世界好きで、それにつられたらしく、TRINITYのインタビューに出るくらい、目に見えない世界への理解がある方だそうな。

鳩山由紀夫代表で私が記憶しているのは、細川内閣のときに官房副長官を務められて、結構永田町や霞が関での評価が良かったことだ。評価の良かった原因は、本人の人柄やしたたかな性質もあろうだろうが、もっとも大きいのは閨閥の威力だろう。

また民主党の代表になった当時言われていたことは、「昨日、郵政民営化論者にあったら今日は民営化論を説き、それを聞いて心配した慎重化論者がいさめたら、翌日には民営化慎重論を唱える」と言われるほど、人の話を聞き過ぎるほど聞く人だということだ。

さっきのスピリチュアル好きも、鳩山代表は元々バリバリの工学者であるにも関わらず、奥さんの話をよく聞いてしまい、簡単に影響を受けてしまったわけだ。

こんな調整型(?)の性格の人だから、鳩山総理は世論が割れるようなことはやらないだろう。本人はリベラル派だそうだが、イデオロギー色の強い過激なリベラル派が喜ぶようなことは、まずやりそうもない。霞が関も、鳩山総理ならかなりやりやすいのではないか。

保守派からしてみるとどうだろうな。過激な保守からしてみると、攻撃材料はわんさかある人だろうが、攻撃してもあまり堪えない相手なのではないかな。

リベラル色を強烈に出す政治家だと、保守派だけでなく、政治的イデオロギーに興味の無い大半の国民も反発するだろうが、政治的イデオロギーをあまり出さずに、少し保守と、少しリベラルの間をバランス取りしながら、全体として中道路線でいけば、安定した政権がつくれるのではないか。

鳩山代表がいう友愛精神というのは、なんだろうな、一体?祖父の鳩山一郎元総理が言い出した言葉らしいが。この手の代物は、たとえ真っ当な考え方だとしても、政治とからむと妙な物になりかねない。少し心配だな。

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『涼宮ハルヒの消失』という本を読んでみた

谷川流さんという方が書いた、いわゆるライトノベルというやつだ。アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が、大ヒットした影響で、どこかでタイトルだけでも耳にしたことのある方も多いだろう。

かくゆう私もそうで、数年前からタイトル名だけが何となく耳にのこって、どこか引っかかっていた。で、引っかかったまま2年以上の月日が経ち、もやもやしてきたので、まずはDVD1巻~7巻をチェックした。よく出来ていて面白かった。しかし、どうもまだモヤモヤしているので、とうとう小説に手を出した。

それがシリーズ4作目『涼宮ハルヒの消失』だ。なぜ4作目を読んだのかというと、たまたま本屋ではそれしか売っていなかったからだ。DVD化はされておらず、私にとっては未知のストーリーだった。

で、どうだったかというと、モヤモヤがかなりすっきりした。モヤモヤしていた理由だが、メガヒットしたという割に、DVDを観る限り、それなりに面白いが、あくまでそれなりレベルで、特別視するほどのものとも思えなかったが、しかし、何か妙に糸を引くのだ。

大して好みでも無いはずのに、なぜか目がいってしまう女子のような存在とでもいえば、よいだろうか。

これは何なのかな?と思っていたのだが、小説を読んでひとつわかったことがあった。小説自体は、軽い読み物と、良くできたストーリー構成で、本当にサラッと楽しく読めてしまったのだが、その読後感が、まるで主人公の立場で「本当に自分自身が経験したこと」を読んでいるようだった。

「これ面白いなぁ」と思う物語は、自分自身がその世界の登場人物になりたいと思わせてしまうような世界観を提供してくれる。ではこの『涼宮ハルヒの消失』という本も、自分にとってそうだったのかというと、ちょっと違う。さきほどの繰り返しっぽくなるが、まるで失われた記憶を思い出したような感覚なのだ。

荒唐無稽なストーリーにも関わらず、主人公の経験が、まるで自分の記憶にも眠っていたかのような妙なリアルさがある。物語を読んでこんな経験をしたのは、おそらく初めてだ。

こういうテクニックが小説には存在するのだろうか? 主人公の本名が記されていないことが何か影響しているのだろうか? 

スピリチュアル愛好家(?)には、自明のことだと思うが(?)、物語の登場人物というのは、作者が生み出した時点で、この世界にもスピリットとして生み出される。そしてそれが読者や視聴者に伝播して、より確かな存在に育っていく。神社にいけば、神的なスピリットが存在するのと同じだ。

この涼宮ハルヒシリーズの不思議なリアリティは、結果として、かなり強力なスピリットを生み出したのではないだろうか。アニメ化は、その存在をさらに強力に増幅させて、相当に現実社会に影響を及ぼす存在に育ってしまったように思う。

我ながら電波なことを書いているが、八百万(やおよろず)の神々が、また増えたのではないかと、そう思った次第。第3シンボルでコンタクトして、召喚するとどうなるのか、多少興味はあるが、怖いのでやめておく。

天使やマスターならともかく、小説やアニメーションのスピリットを呼び出したことは、まだ無いので、ね。重要登場人物の涼宮ハルヒというのは、現実世界を創造・改変できる力の持ち主という設定だから、ちょっと警戒してしまう。まぁもう既に自分も多くの読者と同じく、少しはコンタクトしてしまっているのだろうけど。

小説といえば、東丈に『幻魔大戦deep』のCD-ROMで去年再会したときは、本当に懐かしかった。高校生のときに読んで以来だ。昔は映画化もされた小説の主人公なのだが、今や自費出版でしかお目にかかれない。

私の人生の約半分ぶりの再会だったわけだが、出てくるのは、ほんの一エピソードといっても良いだろう。東丈自体はずっと出ずっぱりといっても良い状態だったのだが、高校生のときに出会った東丈が出てくるのは、ほんの数十ページほどだ。

あまりの懐かしさに、ぼろぼろ涙が出て止まらなかった。「あぁ生きてくれていたんだ・・」と、まるで死んだ恋人に再会したような、そんな気持ちだった。いや、ような、ではなく、愛していた人や世界に実際に再会したのだろう。

東丈も井沢郁江もずっと放ったらかしで、何とかならんものか、まぁ無理だろうけど、と諦めていたのだが、今はもうそんな風な気持ちは無い。ストーリーに決着がついたのとは異なるが、彼/彼女らが存在し続けていることを確認できたからだ。『幻魔大戦deep』は、私のなかのGENKENの良い鎮魂歌になってくれた。

途中から別の作品の話になってしまった。

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2009年6月 8日 (月)

振り子に株価の診断に使ってよいか聞いてみた

そしたら、強く「No」という返事が返ってきたcoldsweats01 はい、絶対やりません。

ペンデュラムは意思決定にあまりに便利なツールなので、何でもアリかと思ったが、おのずと制限はあるようだ。

今年からレイドウレイキのセミナーをやってよいか?と尋ねたら、今度は強く「Yes」という返事が返ってきた。夏には首都圏に引っ越すのだけど、それからレイドウレイキの第1~第4段階を再受講をした後に、本業のかたわら、細々と開業する。

マイク・マクマナスの『ソース』に、「やりたいことは全てやりなさい」という教えがあった。

ほんと、そんな感じの展開になってきた。全てやるとなると、果たしてどれだけの顔を持つことになるか(苦笑)。でも、ソースのトレーナー養成講座を受けてよいか尋ねたら、Noと返事が返ってきた(苦笑×2) トレーナーになるのは止めます。

7/25に自分でセミナーを開くのだが、人が来る自信は無いし、やめようかなという気持ちがチラチラしている。が、これは開いて良いか尋ねたら、Yesと返事が返ってきた。受講者が来るのか尋ねたら、Yesと。どうやら誰か来るらしい。

ライタリアンレイを伝授して良いか?と尋ねたら、それは今年も来年以降もNo、という返事が返ってきた。しかし、ある特定の存在には行って良いと返ってきた。こんな場末のブログで勿体ぶることも無いので言うと、ある特定の存在とは地球であり、これまでマイトレーヤ→エルモリヤ→ブッダ→サナンダと、やってきた。

レイドウレイキのスピリチュアルピースというマスターシンボルを使ったセッションで、なぜか「ライタリアンレイを地球に伝授せよ」と啓示を受けたため、始めた。

一種の地球ヒーリングなのだろうか?意味合いはよくわからないが、とりあえずやっている。人にライタリアンレイを伝授するとその人の波動が上昇するが、地球に伝授(?)すると地球の波動も上昇するのだろうか?

そういえば、ハイヤーセルフは私が宮古島に行って欲しいようだ。屋久島に行く必要は特に無いらしい。宮古島、いつ行こうかなぁ~・・・6~9月はNoで、10月・11月・12月はYesだってさ。ちょっと聞き過ぎかな^^;

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2009年6月 7日 (日)

振り子ってすごいな~ペンデュラムのワークショップに参加する~

川崎市のヒューマン&トラスト研究所で行われた「ペンデュラム初級ワークショップ」に参加した。

ペンデュラムとは振り子のことである。

『幻魔大戦DNA』という作家・平井和正氏の自費出版CD/本を読み、私の好きな主人公の東丈らが振り子使いになって以来、振り子に対してミーハー心をくすぐられていたわけだが、やっとこのミーハー心を満足させることができた^^

ワークショップでは、ペンデュラムを使って、自他のチャクラのエネルギーをチェックし、弱っている、ないし、バランスが崩れているチャクラにレイキエネルギーをチャージする実習を行った。

レイキエネルギーをチャージする前と後の変化が、ペンデュラムを通してはっきり目に見える形であらわれるので、参加者全員「わかりやすい」と感心していた。他人がやっているところを見学するだけならば、半信半疑だろうが、全員がヒーラーになったりヒーリーになったり入れ替わり立ち替わり実習し、各人が使用するペンデュラムもバラバラなので疑う余地が無い。

ペンデュラムは、ひもの先に5円玉や宝石を吊るしたもので。クリスタルのお店なんかではよく売っている。大して高いものではなく、ワークショップの講師をされた青木先生の愛用ペンデュラムは1000円だそうだ。

ちなみに私は、ペンデュラムを持ってない人向け用に青木先生らが今回の購入してきたものを、2000円で購入した。青木先生らが購入してきたそれぞれ異なる石・模様のペンデュラムは12個程度あったが、購入希望者も10名近くいて、「あ、これ欲しい」「いや私もそれが欲しい」と希望が結構重複することもあった。

幸い私が目をつけた透明なクリスタルを吊るしたペンデュラムは、他に希望者も無く、すんなり入手できた。単純に、もっとも光って見えた石を選択した。

昼食中、参加者のおひとりが青木先生に「誰がどの石を選ぶか、わかってらっしゃったんじゃないですか」とたずねると、「うんわかってた。あ、(私の名)はオーラの色から緑の石を選ぶと思ってたけど。ピュアな方に行きたいんだね」と返ってきた。あとでその緑色の石を見たが、私ですらわかるエメラルド色の強いオーラを放っていた。

さて、この透明のクリスタルを吊るしたペンデュラムだが、どうもかなり相性が良いようだ。家に帰ってからも色々試してみたが、「これは反則なんじゃないか?」と思うくらい、様々なことがよくわかった。

たとえば私の未来とか、人間関係とか。さらに極端な方向に向かうようだ。私も色々と「こうでないといけないんじゃないか」という世間的価値観に沿った思い込みがあり、それがために様々な事柄に関して迷いも出ていたわけだが、全て吹っ切れた(苦笑)。

それにしても、意思決定の速く正確なペンデュラムだ。迷いが無いし、Yes/Noのエネルギーの強弱も、はっきりわかる。強いYesのときの回転は、「そこまで回るか?!」と思うくらい強烈だ。

ワークショップは初級だけでなく、中級、上級もいずれ開催するらしい。購入したペンデュラム、長い付き合いになると思うので、大事に使っていこうと思う。

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2009年6月 5日 (金)

『ちはやふる』の情熱に心を動かされる

競技カルタに取り組む少女1人と少年2人の物語『ちはやふる』。

こんな真っ直ぐな物語、久しぶりに読んだわ。なんやろ、この漫画からほとばしる情熱。地味なイメージのある競技カルタ。百人一首の取り合いっこやけど、もともとは貴族の雅な趣味やったらしいな。(主人公の一人が福井県民やから、影響を受けてもうて、なぜか関西弁で書いてまう)

そやけど、この競技カルタゆう世界は、雅とはほど遠い。畳の上の格闘技ゆう異名があるらしいけど、ほんま一瞬で決まる『勝負』の世界や。格闘技ゆうより、これは居合のように刀剣を持った決闘に近いやろ。

この漫画に出てくる競技カルタに取り組む少年少女やおじさん達は、ほんまに純粋で熱くて真っ直ぐや。こう書くと少年漫画でよう出てくる熱血主人公を思い浮かべるかもしれんけど、なんやろ、そういうのとちょっと違うな。

情熱を持っている人って会ったことあると思うんやけど、側にいて話していると心動かされへんか。なんかいつの間にか、自分の心にも火がついて、何か行動してしまうような。コーチングとかカウンセリングとか、そういう冷めた世界の話ちゃうで。

この本のヒロインである少女も、ある少年の情熱に心を動かされて、心に火かつくんや。そしてその少女も自分の道を真っ直ぐひた向きに進んでいく。真っ直ぐ進むと、当然どこかにぶつかる。でこぼこでこぼ。そのたびに泣いたり怒ったり、笑ったり。そんな少女の姿を見て、周りの少年少女の心に火がついていく。情熱が伝播していくんや。

「お姉ちゃんがいつか日本一になるのがあたしの夢なんだー」

「ほんなのは夢とは言わんよ」 「え?」

「自分のことでないと夢にしたらあかん のっかったらダメや お姉ちゃんかわいそうやが」

・・・

「かるたは他の国ではまだやられてえんくて・・・でもそれはつまり 日本で一番になったら 世界で一番ってことやろう?」

「かるたの名人になるのがおれの夢や・・・千早(ちはや)っていい名前やの」 「え?」

・・・

「あたしが知ったのはかるたじゃない 情熱だ 新(あらた)の」

全部小学6年生のセリフです(^^)

いや~、1冊で3回ウルウルしましたweep

えぇ話やなぁ~。

そやけど、この主人公の少女が少年のこと好きになるのわかるわ。なんかしばらく会わない間に勝手に少年のことを神格化してるんやけど、近くにいても遠い人やったんやろうな。そういう人ってなんか憧れるわ。ずーっとはるか彼方を進んでるんやもん。

そういう憧れる人が物理的に遠いところにいってもうたら、そらもう手が届かない、それこそ神格化とかしてしまうわな。なかなかそういう人って、現実には滅多におらんけどな。自分もお目にかかったことがないhappy02

話脱線するけど、女性に憧れるって結構難しいんよ。小説とか漫画のようなキャラクターでも、魅力的な男性キャラというのは、それこそ沢山存在するけど、魅力的なヒロインってなかなか居ないわけや。ヒロインって、よく脇役の女性キャラに食われたり、男性キャラ中心の世界のお邪魔虫になってるわな。たまに人気の女性キャラクターが出てきたと思ったら、大抵めちゃめちゃ非現実的なキャラクターや。人間味が乏しいいうか無機質なキャラクターも大人気やけど、女性性から女性の生々しさを差し引いたような存在や。

どうにでも描ける空想の世界ですらこんな状態なんやから、現実になるとかなり難しいもんがある。そら特別キレイな人や特別頭のえぇ人には時々出くわすけどな。そやけどそれは能力や外見の話であって、自分の在り方を思わず見直してしまうような遠くを歩いている人ゆうのは、居ないもんや。

男はたまに居るんやけど。もっとも男の場合、逆に「どうにかならんのか」というくらいヒドイのも沢山おる。男は差が極端やな。女性は比較的ばらつきがあらへんな。

何の話や。あぁそうそう、「ちはやふる」のヒロインは、珍しく魅力的や。こんな子が近くにおったら応援したなるわ。恋は・・・せぇへんやろうな(苦笑)

まぁそんな感じで(?)、「ちはやふる」読んだこと無い人は、読んでつかーさい。後悔しませんぜぇ~、旦那~(もみもみ)

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2009年6月 4日 (木)

仕事の合間に本書いてる。

ある大御所の先生と共著で書く予定。いつ出るかわからんが、支援してくれる出版社の編集さんもいるし、こつこつ頑張ろうと思う。

独立するためのひとつのルートであるが、しかし本って、沢山原稿書かなきゃならんな・苦笑 

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2009年6月 2日 (火)

それにしても変化が大きい

また今日も波が来た。

何なのだ、この変化の嵐は。どんどん現実が変わっていく。

まるでジェットストリームに乗っているみたいだ。

今まで、自分で環境をガラッと変えて変化を起こしたことはあった。しかし、同じ環境にいながらにして自ら変化を起こしているのは、ここ1~2年の特徴だ。それも変化の波が加速度的に増している。

あるスピリチュアルヒーラーの人曰く、2008年はマスターの光が強く届き大きな変化を起こした年であったが、2009年はさらにマスターの光が強く届くという。したがってさらに大きな変化が起こることが予想されるとのことだが、こと私自身にとっては、この予言めいた発言は当たっていると言わざるをえない。

いったいどこへ行こうとしているのか。一つ言えることは、ますます私の主体性が発揮できる、ないし発揮せざるをえない環境になっているということだ。スピリチュアルヒーラーの人の言葉を借りれば、「より自分らしさを取り戻す時代」ということになるが。。。

ただでさえ、2007年に日本の某巨大メーカーに入社して以降、好き勝手やっていたのだが、好き勝手できる範囲がどんどん拡大していき、自分の想像を超えた展開になってきている。

まったく。おとなしくノンビリ保守的にやっていくはずだったのにな。閉鎖的でお固いけれども、楽してそこそこお金が入ってくる空間に私がいくことを、大きな流れを創り出している存在はお望みではないらしい。オレ個人の利益を追求するのではなく、もっと自分を発揮して全体の利益を追求せよ、と。

優れたスピリチュアルヒーラーがエネルギー調整し、高次元スピリットを招いた空間にいると、いつもメッセージが聞こえてくる。地球を救え、と。多分聞こえるか聞こえないかは別にして、この世のみんなが言われていると思う。みんなというのは無論、人類だけではなく、エコシステム全体だ。

自分の今いる世界を少しでもよくすること。よくすることが出来なくとも少しでも関わりを深めること。それがそのメッセージに応える行動ではないか。逃避からは何も生まれない。もっとリアルワールドに働きかけていこうと思う。リアルワールドもそれを望んでいるようだ。

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2009年6月 1日 (月)

定額給付金の案内がきた。

市役所の窓口まで、近日12,000円受け取りにいきます。

そういえば、麻生総理は景気対策をやると息まいて、今年度の本予算・補正予算で随分大盤振る舞いしたらしいが、一体どこにばらまいているんでしょうねぇ。。。自分の身内の意見ばかり聞いてばらまいても、支持は広がらないと思うのですがねぇ。

それが麻生氏の限界なんでしょうか。個人的には経済政策以外はおおむね支持できるので、そんなに悪い総理とは思ってないのですが、いかんせんご自分の狭い支持基盤ばかりに気をつかうので、コアな麻生支持層以外に支持が広がりようがないですねぇ。

まぁ折角総理になったのですから、ご自分の思い通りにやりたいのはわかりますが、結局それってエゴと紙一重ですからねぇ。自分の信念と能力で評価されるのは大臣までで、日本のトップリーダーというのは、信念のウィングを広げ、自分の能力を殺せる、「大きな空っぽの器」になれる人じゃないとなぁと思います。茫洋とした小渕元総理とか、鋭利な刀を持っているのに普段は決して刀を抜かない小泉元総理とか。

政治的イデオロギーというのは、右にしろ左にしろ、コアな支持層を集めるのには役立ちますが、一般大衆はイデオロギーには興味無い人が大半ですからね。イデオロギーに興味の無い一般の人の素朴な気持ちを把握できる人がトップリーダーになると、支持が広がるんですけどねぇ。

政治はさておき、個人的なことですが、現実はどんどん物事が進展していきますねぇ。秘かにNPO法人か社団法人をここ1~2年のうちに設立しようと思っていたのですが、その前に本業のビジネスのほうでベンチャー企業を設立する動きになってきました。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」という中国の有名な故事があります。大集団のなかで人の後からついていくよりも、小集団でもその頭になった方が良いという意味です。自分は今まで大集団のなかにいつつ、人の後にはほとんどついていったことが無いですが、そんなことをしているとはぐれてしまいがちで、とうとう大集団から小分裂して鶏口になりそうです。

ここ2年ほど、私の人生では珍しく、同じことをやり続けているのですが、あきてしまうどころか、どんどん勢いがつき、活動の質が変化し続けています。打って出るには良いタイミングなのかもしれません。

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